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高輪クリニック

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金曜日:サウナ侍のノンフィクション秘話

2008年5月 9日 (金)

サウナ侍 〜プロローグ〜

五反田に今もあるT病院の廊下は、
昼間でも何となく薄暗かったような気がします。

四十年近く前の記憶ですが、
いわゆるセピア色ではなく、
照度が足りないモノクロの映像です。
節電対策だったのか、単に病院が古かったのかはわかりません。

10年ほど前に建て替えとなった今では、
洒落たレストランあり、
インターネットカフェ併設の本格的シアトルカフェあり、コンビニあり・・・。
明るく先進的な施設ですが、
私の記憶の中では、それはあくまでも陰湿で孤独な暗さです。

生来の虚弱体質で、幼稚園に入る頃から小児喘息と慢性中耳炎、
毎日の様に腹痛を訴えては親を心配させていた私は、
小学校入学直前一週間の検査入院をすることになったのです。


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次回につづく 

2008年5月 2日 (金)

赤穂浪士の末裔

サウナ侍姓は出身県内では当家一件であり、お墓の最も古い御先祖さまから計算すると私が九代目になります。

山陰地方に多いサウナ侍姓がなぜ、そこにしかも一家のみ存在するのか不思議でした。

これに関して、が誠にいい加減な情報との前置きとして、凄い情報をだしています。

それは赤穂浪士、討入りの四十七士にプラス三人が討入りの連判状にサインをしていたそうだ。

しかし直前になって三人大石蔵之助討入り参加させず武士道の義という最も侍にとって大事な要素をあたらめて世間に伝えるためのめメッセンジャーとして世に残したそうです。

そして三人のうちの一人には母親への手紙、そして今一人には奥さんへの手紙、そして残りの一人には愛人への手紙を手渡しそれぞれに届けるように依頼をしたそうです。

その三番目の侍は、役目を完了した後、ここに落延びその後居ついたということだそうで、
その方の姓がサウナ侍だったのです。

おそらく彼がサウナ侍家ここに定住した初代であり御先祖様なのだというのです。

つまりサウナ侍の御先祖様は赤穂藩であり、
お先祖様の役割は、武士道を世に伝える役割を担っていたというのです。
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ほんまかいな?と思ってしますストーリーですが、出身県内に一件しかないサウナ侍家武士道を世に伝え、また大石蔵之助が最も信頼していたからこそ愛人に文を託したのではとの説は、とても洒落ている信じたくなるストーリーです。

今私が医療哲学武士道を注入すべきと熱い思いになっているのは遺伝子が騒いでのことなのか?

父からの話しを聞く前の平成元年に四十七士が眠る泉岳寺のすぐ近くの高輪で全く縁もゆかりもないと思っていた地で開業をしたのも偶然でない!と勝手に熱くなっております。