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高輪クリニック

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2006年10月

2006年10月30日 (月)

サウナ侍のナラティブ12

サウナ侍のナラティブ、
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_8

 そしてある瞬間、私の意識は何の前触れもなく爆発的に拡張し、真っ白い光がドーンと広がっていくのです。途方もなく怖いシーンでした。と同時に、抗い難い好奇心も、そこにはあったのです。

 あまりの怖さに思い切り首を振って我に返り、
もうこんなこと考えるの、絶対にやめよう)と固く誓うのですが、しばらくするとまた
僕って、誰なんだろう」のループに嵌ってしまうのです。

 怖いけどやめられない、いささか分裂病気味のこの儀式は、小学校五年生で剣道を始めるまで続きました。放課後は練習に明け暮れたおかげで、床につくと、「お前は誰だ」の謎の尋問者がスタンバイする間もなくバタンキュー。これは効きました。
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 もう一つのきっかけは、「笑いを取る」楽しさに目覚めたことでしょう。いつ転校生となるやもしれない身の上では、いじめに合わないための有効な護身術の一つが「笑い」です。人を笑わせるのがうまい同級生を観察しつつ、使えそうなネタは積極的にストックしていきました。

2006年10月27日 (金)

サウナ侍のナラティブ11

サウナ侍のナラティブ、
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_7

 不思議な闇の洞窟の中で目をこらし、全身を耳にしていると、どこからともなく私に問いかけてくるような声が聞こえます。エコーさえかかっているような気がしました。

お前は、誰だ」と闇の声。

「えっ? いま僕に『お前は誰だ』って聞いたのは、一体?」

「そういうお前こそ、誰なんだ?」と、再び闇の声。

「『そういうお前は誰なんだ?』って考えている僕って、誰なんだろう?」

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 これをマントラのように延々と繰り返します。母の三面鏡で姉とよくやったあの遊び。左右二面の鏡を半開きにし、その隙間に頭を突っ込んで中を覗いた時の、あんなイメージです。気が遠くなるほど遙か彼方まで、自分の姿が延々と続く鏡の回廊。そんな感覚の中をしばし漂います。

2006年10月25日 (水)

サウナ侍のナラティブ10

サウナ侍のナラティブ、
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_6

お前は、誰だ

 かくして、せっかくのお金持ちクラスにもほとんど通うことができないまま、私は超虚弱児のレッテルを貼りつけられて、小学校へ上がることになりました。

 事態は一向に改善される兆しはないのですが、親にこれ以上心配をかけてはいけないし、何よりもあの恐ろしい「病院という名の牢獄」には二度と入りたくない。その一心で、私は歯を食いしばって学校へ通いました。その健気さに我ながら泣けてきそうです

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 いつの間にか、夜床につく時、ちょっと変わったクセというか、儀式を行うのが日課になりました。頭から布団をすっぽりかぶり、自分だけの空間を作って、イメージの世界へ深く深く潜り込んでいくというものです。きっかけは、あのK病院での悪夢の夜でした。

2006年10月23日 (月)

サウナ侍のナラティブ9

サウナ侍のナラティブ、
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_5

 身の置き所のなくなった私は、さらに新たな病気を量産するようになりました。小児喘息の発作も出ました。月に一度は高熱を出し、慢性中耳炎にもなりました。年に五回は鼓膜に穴が空いていたそうです。

いかに甘えん坊でも、これは何か重い病気になっているのではないかと、両親も不安になります。そこで紹介されたのがK病院。私は五歳にして、一週間の検査入院というものを体験するはめになったのです。
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 初めての入院であるのはもちろん、殺風景な病室で一人で過ごす夜の恐ろしかったこと。まるで「病院の怪談」の七本立てです。頭から布団をかぶり、朝までじっど目を閉じているしかありません。あまりの怖さと心細さに、いつも以上にお腹が痛くなることもありましたが、医師の担当は「また、あの甘えっ子か」というめんどくさそうな対応ばかり。

 結局、様々な検査を経てもこれといった原因を特定することはできず、腹痛については「自律神経失調症または詐病」という、無難な病名に落ち着きました。無難なのは医師の方で、もしろん私にとってはただの災難です。病院が好きな五歳児というのは、あまりいないと思いますが、私の場合は、「痛くされるからキライ」といったレベルを超えて、恐怖孤独屈辱の入り交じった忌むべき場所でもありました。

2006年10月20日 (金)

サウナ侍のナラティブ8

サウナ侍のナラティブ、
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_4

今は登校拒否という言葉は使わないようですから「不登園」というべきでしょうか。 気分的には「登園不能」が近いかもしれません。とにかく、朝、幼稚園のスモックを着て、通園カバンをたすきがけにすると、途端にお腹がシクシク痛み出すのです。

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 心配した母は、私を近くの小児科に連れて行きましたが、簡易検査をしてもこれといった原因は見つかりません。医師はカルテに「詐病」の二字を書き込みながら、こう言ったそうです。

「よほど幼稚園になじめないんですね。ま、甘え病ですよ

 それからは、「おなかいたい〜」と訴えても幼稚園を休ませてはもらえなくなりました。母に手を引かれてグズグズと幼稚園の門をくぐっても、しばらくすると「いたいよ〜」と泣き出し、また母に迎えに来てもらう。そんなことが何度もありました。

2006年10月18日 (水)

サウナ侍のナラティブ7

サウナ侍のナラティブ、_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_3  公務員の子が、何ゆえにハイソなさくらぐみなのか。見栄を張るタイプの両親ではありませんでしたが、可愛い長男により良い環境を与えてやろうと、所得に下駄を履かせたに違いありません。020

級友はお金持ちの坊ちゃん、嬢ちゃんばかり。大人と違って高級時計をジャラつかせているわけではないので、どういう「お金持ちらしさ」に圧倒されたのかはよくわかりませんが、それまでの友達と雰囲気が全然違うことだけは感じていました。

お手伝いさんがお迎えにくる子もいました。今に思えば、「品の良い」とか「おっとりした」といった程度なのでしょうが、当時の私には名状しようもない居心地の悪さがあったのです

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 その違和感をどう親に伝えていいのかわからない私は、ほどなく登園拒否010 になりました。

2006年10月16日 (月)

サウナ侍のナラティブ6

サウナ侍のナラティブ、
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_2

それが北浦和に越してみると、家の前にはそれまで見たこともない産業道路があり、賑やかな商店街もあって、人がいっぱいです。「人に酔う」という感覚をはじめて味わったのもこの街でした。

私の通うことになった幼稚園は、親の所得によってクラス分けがなされるという、当節ではとても表に出せない明朗会計システムでした。入園式の日、各クラスの入り口に、ひらがなの名簿が張り出されます。

「おかあさん、ぼくの名前あったよ!」
「どこ? あら、さくらぐみさんね」

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 母は出願時点で知っていた訳ですが、実はこのさくらぐみ
何を隠そう、最もお金持ちのクラスだったのです。

2006年10月13日 (金)

サウナ侍のナラティブ5

サウナ侍のナラティブ
_サウナ侍の起源は虚弱体質にあり!_1

甘え病ですよ


ものごころ着いた頃から、私は病気のデパートでした。乳児期から熱を出しやすかったそうですが、ひどくなったのは幼稚園に上がる頃から。

省庁に勤めていた父は、家族を伴っての転勤が二〜三年おきにありました。そんなわけで、昭和三十六年にS病院で産声を上げた私は、ヨチヨチ歩きの頃までを札幌郊外で過ごし、二歳で横須賀へ、そして、四歳で幼稚園に入るのと同時に北浦和に引っ越しました。

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 ここで私の生活環境は一変します。とにかく初めて見る都会だったのです。札幌も横須賀も都会的なイメージはありますが、共に郊外でしたし、横須賀では毎日山の中を駆け回って遊んだ記憶しかありません。

2006年10月11日 (水)

サウナ侍のナラティブ4

プロローグ 〜一九六七年、秋!④

 自律神経失調症に限らず、いくら病院を回ってもいっこうによくならない病気や症状はたくさんあります。

医学的には問題ない」つまり、現代西洋医学では原因を見つけることができないとなるや、「何とか治す術はないものか、少しでも楽にしてあげることはできないか」という発想よりも、「私に責任はない」とばかりに患者さんに目が向かなくなる医師のいかに多いことか。

長じるにつれ、私は健康になって行きました。あの時の医師は言うでしょう。

「だから心理的なものだったんですよ。特別な難病でないかぎり、次第によくなっていくんですよ。スポーツなどを通じて抵抗力もついてくるしね」

だったら医者なんかいらないじゃないかと言いたいところですが、「放っときゃ治る」的発想は、ある意味で真実だと思います。自分を本当に癒せるのは、自分しかいないのですから

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2006年10月 9日 (月)

サウナ侍のナラティブ3

プロローグ 〜一九六七年、秋!③

永遠に続くかと思われた悲惨な入院生活でしたが、やっと家に帰れる日がやってきました。

原因は結局わからず、腹痛については「自律神経失調症または詐病」なる病名に落ち着きました。この病名の補足説明としてよく使われる「気のせいですよ」という屈辱的なひと言ともに。

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 昔も今も、自律神経失調症とは、医者にとっては便利な病名だと思います。自分で治せない症状を、それらしい病名をつけて保留にしてしまう、時には「そんなもん、病気の内に入らんさ」といった、思いやりのない言い訳が付帯するのです。

五歳の私は、肉体的にも精神的にも間違いなくつらい状況にありました。しかし、検査データからはこれといった不具合は出てきません。

本来、何も原因がなくて現れる症状というものはないはずなのに、その矛盾は、患者が引き受けざるを得ない。それが業界の掟なのです。

患者にとってつらいのは、「客観的には症状自体、ない」とされるばかりか、場合によっては「甘えている」「怠けている」「仮病じゃないの」と、カウンターパンチさえ食らわされることもあります。「自律神経失調症」とは、概ねそういう病気なのです。

2006年10月 6日 (金)

サウナ侍のナラティブ2

プロローグ 〜一九六七年、秋!〜②

涙の乾かない内に消灯時間が訪れます。さらなる試練の時間です。

廊下の向こうから、ヒタヒタと湿った足音が聞こえてきそうな気配がします。もしもフラフラと部屋の外に歩み出て、看護婦詰め所の角を曲がろうものなら、青白い幽霊がゆっくりと私の方に振り帰り、「ひっひっひ…」と笑い出したことでしょう。

「病院の怪談」に引きずり込まれないためには、頭から布団をかぶって固く目を閉じているしかありません。ひたすら朝を待ちながら、底なしの恐怖の中で眠りの沼に沈み込んでいく…、そんな地獄の日々でした。

恐怖と孤独から、唐突にお腹が痛み出すこともありました。看護婦さんが担当医に報告しても、まともに取り合ってもらえません。たまにベッドをのぞきにやってきても、

「大丈夫だよ。何ともないから」と、せせら笑っているばかり。

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 私の病院の雰囲気へのマイナスイメージは、おそらくこの辺りに遡るのだろうと思います。痛いと訴えているのにちっとも聞き入れてくれないばかりか、「そんなものは存在しない」と言うのです。痛くて、怖くて、悔しくて、そして不安でたまりませんでした。

2006年10月 4日 (水)

サウナ侍のナラティブ1

プロローグ 〜一九六七年、秋!〜①

K病院の廊下は、昼間でも何となく薄暗かったような気がします。

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四十年近く前の記憶ですが、いわゆるセピア色ではなく、照度が足りないモノクロの映像です。節電対策だったのか、単に病院が古かったのかはわかりません。

今では、洒落たレストランあり、インターネットカフェ併設の本格的シアトルカフェあり、コンビニあり…。明るく、先進的な施設ですが、私の記憶の中では、それはあくまで陰湿で孤独な暗さです。

 生来の虚弱体質で、幼稚園に入る頃からは小児喘息や慢性中耳炎、毎日の様に腹痛を訴えては親を心配させていた私は、ここで一週間の検査入院をすることになったのです。

 入院初日の夜、一人ぼっちにされた時にはこの世の終わりかと思ったほどでした。完全看護ということで、夜間のつきそいを認めてくれなかったのです。

「ぼくも帰る〜、おがーさーん!!」


 しがみついた母から無理矢理引きはがされた時のパニックのような感覚は、未だに鮮明に記憶に残っています。

いつもは四つ上の姉と枕を並べて寝ていましたし、具合が悪いときには母が添い寝をしてくれることもありました。一人で、しかもこんな恐ろしげなところで寝るなんて初めてです。

2006年10月 2日 (月)

サウナ侍のナラティブ 

現在、ナラティブベイスドメディシン患者さんの人生物語を重要視した医療システム)を和合医療とタイトルで推進しています。

いまだナラティブベイスドメディシンの具体的方法論は暗中模索の状態であり、日々患者さんを教師としてよりより臨床につなげていきたいと意気込んでいます。

そんな中、本日から約一年にわたり、まずは私の人生物語を知っていただき今後のめざす医療を具体的に感じていただけれ幸いです。

それでは今後、毎週3回アップを気合入れておこなっていきますので、 是非ともお時間のあるときに『サウナ侍』の生き様を覗いていただければ幸いでございます。

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